#1
「ファウスト。僕と組もう!」 黒猫が喋った。 いや、正確には――窓を額で叩いていた黒猫を、物珍しさで部屋に入れた途端に そいつが流暢な人語で話し始めたのだ。 「お前は、何だ…?」 喉から掠れた音が漏れると同時に、もう何年も人と会話をしていないのを思い出す。 猫は私の書斎を見回し、丁度良く積み上げられた書物に飛び乗った。 「僕はメフィスト。お前……ファウストで合ってるよね?この世の何でも知ってる大先生」 言いながら、初対面の猫は値踏みするように、眼鏡越しの私の目を見通す。 「……その割には、澱んだ眼をしてるんだね。かわいそう」 「……満たされぬ人間の晩年など、こんなものだよ」 私はあらゆる疑問を一旦棚に上げ、言い訳がましく呟いた。 ――学者である私の人生は、知識欲という厄介な業に振り回された。 高尚な志があったわけではない。これは私という人間と切り離せない性分のようだった。 この世の全てを知りたいと思った。だから生の全てを捧げた。 そして――その心が満たされる瞬間は、ついぞ訪れなかった。 あとは命尽き果てるまでの幾許かの時を、 この荒れ果てた部屋でひとり書物に埋もれて過ごすつもりだった。 「へぇ……ヒゲキ的だね」 私の話を聴きながら、メフィストが性根の悪い顔でニヤつく。 「それはお前が、知っているだけで、わかっていないからだよ」